2013年1月16日水曜日


これ
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10200422383787211&set=a.2168156208503.2153830.1384647064&type=1
に対する感想。
FBに書いたけど長くなりすぎたので転載。
内容的には『生物から見た世界』のステマです。

以下転載:

人間の物の認識の仕方は環境によって変わるので、朝のラッシュ時の駅は芸術的音楽を認識する条件が揃っていないというだけの話。
往来で男性が美女を見ても性的に興奮しないかもしれないけど、男性の自室でふたりきりなら興奮するんじゃないの。空腹でないときに他人の病室に置いてあるフルーツバスケット見ても”飾り”という認識だけど、空腹の時に自宅の台所にフルーツバスケットがあったら”食べ物”の認識になる。
路上ミュージシャンに限らず、店やら建物やら人やら、通勤ルートにも興味深いものは無数にあるが、それを”風景”じゃなくて「今入りたい店」「研究対象になる建物」「話してみたい人」とかいちいち認識していたら、まず、会社に辿りつけない。
人間も動物も、自分の目的・都合に沿ってかけたフィルターを通して世界を認識するので、他に優先すべき目的(あと◯◯分で会社に着く)がある場合には、それに寄与しない要素は”風景”として、非常に小さな情報量として処理するのが合理的だからそうしている。そうしないと生きていけない。
世界に存在する全ての物を、物その物として、ありのままに、本質を、認知しようなどということは、そもそも感覚器の限界もあるのでどんな動物にも不可能であって人間も例外ではない。
経済的価値と交換可能な芸術には、それがそのように交換される(べきと認識される)にふさわしい環境というものがあってそのような交換価値が付いているので、それそのものがそれだけで価値があるという事にはならない。

以上
以下、ツイッターから。



高名な芸術作品全てを鑑賞しなければならないわけじゃない。知り合った人と必ず友達にならなきゃいけないわけじゃない。古典をすべて読まなきゃいけないわけでもない。世の中には人生を捧げるくらいの価値のものが無数にあるので、99.99%無視して生きても問題ないし、人はそうして生きている。

音楽なんて、あれば楽しい事もあるけど無くても問題ない。世の中には僕が普段踏みつけて歩いているような砂とか泥とか虫とかを人生をかけて研究している人だっていて、その人にとってのそれらが音楽家にとっての音楽に劣るものだとは思わない。でも、僕はそれを無視して踏みつけて生きてもいいはず。

ちなみに、「砂とか泥とか虫とかを人生をかけて研究している人」は、『ボーンズ』のホッジンズ博士。


以上

以下、元記事

http://www.facebook.com/photo.php?fbid=10200422383787211&set=a.2168156208503.2153830.1384647064&type=1

ある寒い1月の朝、一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。その時間帯は通勤ラッシュだったため、約1100人がその男の前を通りました。
3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。
1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、彼女は止まることなく歩き続けました。
少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、腕時計を見るとすぐに歩き始めました。会社に遅刻しそうだったのです。
一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。
彼が演奏した一時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。稼いだお金はたったの32ドル。彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。
バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。それも3億円のバイオリンを使って。
彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、一枚一万円するものの全て売り切れました。
これは実際にあった話です。ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験としてワシントン・ポスト紙によって行われました。私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?
一つ結論として言えるのは、
もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?


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